次!!!「キャラクターとは何か?」

キャラクターとは何か (ちくま新書)

キャラクターとは何か (ちくま新書)

これは文化としてのキャラクター論と、ビジネスとしてのキャラクター論を合わせて考えられたハイブリッドな視点で語られたキャラクター論です。

最近目につく、ワンコンテンツ・マルチユースなキャラクタービジネスですが、
これはキャラクターというものの性質ゆえの現象っぽいです。

それは、コンテンツと無関係に、購買意欲を換気する記号としてのキャラクターの在り方
つまり、ある一定の認知を得たキャラクターは作品・物語としてのコンテンツから自律するわけです。

キャラクターは意味、内面、図像の三要素によって形成されており、これらのうち一つの点で同一性が保たれた場合、同一キャラクターとして扱われる。それ故、拡張、変形が可能なものであり、そもそも複数メディアでの展開に向いているものだというわけです。

その最も一般的な例として、ポケモンがあるんですね。
なにも考えず、ゲーム、映画、アニメ、漫画などに触れていたんですが、このような理由が裏にあったわけです。
今後はコンテンツに触れる際、その辺を意識していきたいです。

かなりぐだぐだと書きましたが、これで終わり、詳しいことは読んでください。
ではでは

まず「かわいい論」

「かわいい」論 (ちくま新書)

「かわいい」論 (ちくま新書)

世界でも評価されている「かわいい」という日本独自の感覚のものについて書かれた本ですね。
筆者によると、この感覚は日本文化の徹底した脱政治性において独自たり得るらしいです。

あるものがなにかを主張することなく、ただ愛着を注がれるために存在しているということなのかな?
もしくわ、日本人は主張にたいして無関心なのか。。。。

ただ、かわいいは文化の壁を越える、ノンバーバルな感覚になっているらしいのです。
そして、かわいいとは実態的なものではなく、人間関係のなかに浮かび上がってくる虚構の状況であり、
消費経済の中においてのみ成立する蜃気楼のような現象
かわいいとは物に宿るのではなく、「かわいい」と名付け指差す行為そのものではないのか?
といっています。

この本を読んで個人的には、日本独自(かな?)の女の子どうしが気を使い合う微妙な人間関係、かたちだけのグループ意識においてコミュニケーションを良好にはたらかせるための潤滑油として「かわいい」という感覚が芽生えたのかなと考えたりしているわけです。
逆に、人との関わりが希薄で、コミュニケーションを求めていないひとはかわいいという感覚は抱かないのだろうか?
ま、「かわいい」て言ってる自分をかわいいと思ってそうな人はよく見かけますし、
かわいいとは人と関わることが前提にあって発せられる言葉ということなのでしょう。

ここ最近の読書、「かわいい論」「キャラクターとは何か?」

ブログを始めるぞ!と決意してからはや一週間が経っているわけですが、ふたつめの記事いきます。

言葉によるアウトプットを鍛えるために書くということで、とりあえず最近読んだ本について書いていこうと思うわけです。

おれブログはじめます。

ついにブログをはじめてみようと思う。

これは頭の中の考えを言語化することを苦手とする自分の訓練とゆーか練習みたいなつもりで、書くという行為をブログを用いてやっていきたい。
だから特に誰かに情報発信するためのものではないし、別にたくさんの人に読んで欲しいともそんなに思わない。

なんで、ゆるーくたまに更新する感じでやるぞ
と自分に対して決意表明をしてみる。

その直後、、、、、
写真を載っけたらファイルのサイズがバカでかいことに今更ながら後悔。
って感じでゆるくね。